じっくり相談できるプロショップっていいな
昔、カンパニョーロのレコードのコンポーネントパーツがアフターマーケットでは、入荷量も少なく、価格的にもおいそれと買える物ではありませんでした。
大学卒の新入社員の給料が8万円くらいだったころ、20万円以上していました。
デローザのスチールフレームが16万円くらいでした。
フルカンパニョーロのロードレーサーと言えば給料約5ヶ月分です。
ここで買いたいというプロショップが都内に何店舗かありました。
その1つが、上野に横尾双輪館、老舗のプロショップです。
店主の横尾明さんは、1964年の東京オリンピックの時に、立川の特設バンクでメカニックをやっていたそうです。
東京オリンピックでももちろんピストとロードレースは実施されています。
その立川の河川敷に特設されたバンクで開催されたピスト競技や、青梅街道で開催されたメルクスやジモンディが出たアマチュアのロードレースの写真集を、ヴェロクラブ東京が発刊しています。
その事務局をやっていたのも横尾さんでした。
東京都車連の仕事もされています。
しかも、自転車乗りでしたから、早朝に皇居の周りを周回している姿も、昔々、目撃したことがあります。
この有名なお店へ最初に行ったのは、ニューサイクリングを持って、広告に載っている略地図を頼りに、上野駅から横断歩道橋をてくてく歩いて渡り、米軍放出ショップの前を通り過ぎて、角の弓矢工房を曲がったところにある、小さなお店でした。
フルカンパのコルナゴやデローザ、レニャーノやビアンキやチネリなど、夢のようなロードレーサーが展示されていました。
ピストもマジーとかコルナゴがありました。
オレンジ色のピスト用のタイヤに、オレンジのメタリックのペイントのフレームのピストの鮮やかさや美しさは今でも脳裏に焼き付いています。
そして、チューブラータイヤの在庫が凄かった。
クレメンのクリテリウム、クリテリウムセタエキストラ、カンピョニシモセタエキストラ、ピスト用のナンバー3、白いトレッドのタイヤもあったな、絹コードのチューブラータイヤなんて、ウワサだけは聞いていましたけど、見たことも触ったこともありません。
もう夢のような世界です。
いま思えばツールドフランスですら日本では知られていない時代ですから、この品揃えは当時としてはかなり尖り過ぎです。
ここにあることを知っている、良さを分かる人達って極わずかだったんじゃないかな。
コットンのクリテリウムだって1本8000円くらいして、憧れのチューブラータイヤで2本手に入れて、前後輪にセットするのが精一杯で、予備タイヤは3000円くらいのウオルバーを、革製のストラップでサドルの後ろに縛り付けて走っていました。
1本で2万円近い、カンピョニシモセタエキストラタイヤの乗り心地って、どんな何だろうという憧れがありましたね。
実際に使えたのは社会人になってからで、余りのしなやかさに、自分に合った空気圧を探し出すのに手間取りました。
しっとりした路面とのグリップ感は予想できました。
何が驚きだったかと言えば、走りの軽さ、そして、バイクのライン取りを急に修正した時に、もの凄い路面への追従性を感じ、これはヤバいというアクシデントを回避できたのです。
ところが、雨の中を走ってそのままにしておいたら、絹のタイヤコードがばらばらになって、それなりの扱いをしなければいけないことも知りました。
最初は、カンパニョーロのヌーボレコードのスモールフランジのハブを買ったと思います。
1万3000円くらいだったかな、高校生としてはそれがめいっぱいの買い物でした。
何度かカンパのパーツをポツリポツリと買いに行きました。
それが暫くすると改装中で、仮店舗での営業になって、ビルが建って1階と2階が店舗になりました。
東京で一番オシャレなお店になったんじゃないかな。
クラブチームもアイスクリームブランドみたいなチーム名だったな。
チームジャージやバッグやレースアフターウエアまで作っていたと思います。
お店は1階がバイクやパーツが展示され、カンパの大工具セットなどが壁にかけられた、メンテナンスのスペースが奥にあって、歴代のカンパのスモールパーツまで小さな引き出しにストックされていました。
カンパのスモールパーツが必要になるとここに来て横尾明さんによく相談していました。カンパのパーツを手に入れるなら、都内では、ここか本郷の土屋製作所か、両国のリバーワンの市川さんでしたね。
とにかく、カンパニョーロのパーツは入荷が不定期で、欲しいときにないというのが日常的で、少し余裕がある時に予備のパーツを買ってストックするようになりました。
そうそうカンパのスモールパーツのストックと言えば、浜松町のシミズサイクルも魅力的な小さなショーウインドがあったな。
アルミフリーのスプロケットとか、フリーボディーのラチェットのスプリングとか、レコードのリヤメカのプーリーとか、おばちゃんに、美味しいお茶やお菓子を出してもらいながら、時には夕飯を食べさせてもらって、1日へばりついていても飽きないくらい楽しかった。
横尾双輪館の1階の奥の壁には、誇らしげに、ベルギーのエディ・メルクスのマシン、ウーゴデローザが作ったモノです。
もう一台はチェレステカラーのビアンキですが、フレッチョ・ジモンディのマシンで、作ったメーカーは知りません、の2台が展示されています。
このお店に出入りしている自転車乗りは、昔からカンパニョーロファンが多かったと思います。
扱っていたブランドも、記憶しているだけで、チネリ、コルナゴ、デローザ、レニャーノ、マザ、ロッシン、ジャンニモッタ、ジターン、オルモ、ビアンキ、ホルクスでした。
カンパニョーロの他にも、ユーレーとかサンプレックス、シマノ、サンツアーのコンポーネントを扱っていたと思います。
小さなショーウインドには憧れのパーツがぎっしり詰まっていましたね。
2階はバイクウエアのブティックでした。アソス、ビットーレジャン二、サンティーニ、ナリーニなどが置かれていました。
今でも都内に出ると、何かというと立寄らせてもらい、横尾さんやトライアスロンに取り組んでいる息子さん、ブティック担当のお母さんとお話ししたり、パーツやウエアの買い物をさせてもらっています。
最近のサイクルプロショップの状況は、メーカーや輸入元の取引条件が厳しくなっています。
中には取引条件のいいブランドのオンリーショップになっているところもあります。
ブランド直営店も増えています。
そのブランドの企画力や開発力、技術力や商品力を信じて、TTバイク、ロード、レディスロード、フラットバーバイク、小径車、MTBなどの完成車のラインアップを中心に、ライト、ポンプ、バッグ、ヘルメット、バイクウエア、バイクシューズ、全ての商品を展示して販売に徹すればいいわけです。
サイクルプロショップが、メーカーや輸入元と取引をするには、高額な年間発注金額が設定されて、フレームも買い付け本数が決められていたり、完成車も用品も買い入れないといけなくなっているところもあります。そういう縛りが普通に設定されているので、複数のブランドをお店に置くには、大きな資金力が必要になって難しくなっています。
サイクルプロショップは、お客様とフェイストゥフェイスでじっくり相談できる時間を作って、要望や走り方や遊び方を聞いたりして、お客様の自転車生活にこれを取り入れるといいな、と思うものをスタッフがご提案させていただく、ウィンウィンの商をしないと生き残れません。
お客様に色々な選択肢をお見せするためにも、スタッフやアドバイザーがこれはというものをセレクションして、頑張って色々なブランドを扱うようにしているわけです。
さらに実店舗は、気軽に相談できるお客様のホームドクターであり、走り方や走る場所、トレーニング方法などのアドバイザーであり、バイクで走り始めれば必要になる技術力やノウハウを駆使して、転倒や消耗や、チューンナップのメカニックの作業も高いクオリティでスピーディーに対応することになります。
そういう時にじっくり相談できて、高い技術力で対応してもらえて安心できる。
そう思ってもらえることが重要です。
お付き合いして来たサイクルプロショップが参考になっていますね。
ではでは。